対談企画

Vol.5「大切なことは子どもたちから教わった」

最初の出会い
――今回の対談は、藤嶋学長よりぜひにとのご要望があり、絵本作家、児童文学者であられ、児童教育についても造詣の深い加古里子先生にお願いいたしました。まず藤嶋学長、加古先生と知り合われたきっかけはどういうものだったのでしょうか。
藤嶋学長
加古先生の童話は以前よりよく知っており、私の子どもたちもみんな愛読者だったのですが、実際に初めてお目にかかったのは今から5~6年前、私がまだ神奈川科学技術アカデミーの理事長だったときです。そこに「光触媒ミュージアム」というものがあるのですが、幼稚園や小学校の子どもたちにももっと来てほしいと思っていたんですね。そこで入り口に絵本や童話を置くのがいいのではないかと思い始めたのがきっかけです。
調べてみたところ、100万冊以上売れているというミリオンセラー絵本のリストがあり、その中に『からすのパンやさん』をはじめとして3冊、加古先生のお名前が入っていました。改めて先生のそれらの作品を読んで感動し、早速お電話を差し上げて、ぜひご協力をとお願いしたわけです。
そして、かながわサイエンスパークで先生のお話の会を行うことになりました。近くの小学校などにご案内したところ、1日目で定員の300人を超える申し込みがあり、すごい反響でした。それが最初のご縁なんですね。
――加古先生、最初にそのご連絡があったとき、いかがでしたか。
加古さん
大変光栄に思ったのですが、僕は本来、子どもさんとの対話や遊びのほうがよくて、大人の方が相手では萎縮してしまうものですから、正直、困ったなと思いました。ただ、お話を伺って、これはお手伝いしなきゃいかんと思って駆けつけたわけです。 それがご縁で次々と催し物などをお手伝いする機会を得まして、本当は第一線から退くような年なのに、皆様のおかげでまたお話をさせていただいたり、本を書かせていただいたりすることができ、大変感謝しております。
――例えば、ご一緒にどういうことをされていらっしゃるんでしょうか。
藤嶋学長
まず光触媒に関する小学生向けの本をということで、先生と一緒に『太陽と光しょくばいものがたり』という絵本をつくりました。これが非常に好評で、今は英語版もありますし、中国版や韓国版もできつつあります。しかも大変光栄なことに、私も登場人物のモデルにしていただいているんですね。その後、理科大の学長となり、子どもたちにもっと本に触れてほしいという思いから、1,000冊以上の絵本や童話を集め、神楽坂上の森戸記念館内に「坊っちゃんとマドンナちゃんのこどもえほん館」をつくらせていただきました。そのオープニングイベントでも加古先生にご講演いただき、これも大変盛況でした。先生はまだまだご壮健でいらっしゃいますから、これからもいろいろとお願いしたいと思っています。
絵本から学ぶ大切なこと
――加古先生はほかにも、「科学絵本」をたくさん出していらっしゃいますね。
加古さん
僕も昔は化学の端っこをかじった者ですが、もう何十年も離れていますので、第一線のことはとんと分かりません。『太陽と光しょくばいものがたり』もそうですが、内容は専門の先生方がまとめてくださり、僕はそれを多少理解して、子どもさんの理解の輪の中に入るように絵を添えさせていただいたというだけです。
ただ、そういう第一線のことを少しでもお手伝いさせていただくことは大変うれしく、ありがたいことだと思っています。
藤嶋学長
加古先生も東大の応用化学科のご出身で、私の大先輩です。しかも卒業後は昭和電工という化学系の会社に勤められ、研究業務をされていたわけですね。ですから科学に対する造詣が深く、それが科学絵本などにあらわれていると思います。
例えば、私は講演や出前授業などで、先生の『ピラミッド―その歴史と科学』という絵本をよく使わせていただくんです。4,600年前、クフ王が2.5トンの石を260万個も積み上げて大ピラミッドをつくった。その後、歴代の王様がつくったピラミッドはみんな崩れているのに、それだけは今も崩れずに残っている。それは基礎がしっかりしているからだということを書いておられるんですね。
このことから、私は学生諸君や子どもたちに対して、今の勉強が大事なんだよ、その基礎・基本の部分をきちんとやっておけば、将来も崩れることはないんだよということをお話ししているんです。
決断と責任
――加古先生は、子どもたちのために自分の人生をかけて貢献していこうというお考えであることを他のインタビュー記事で拝読しました。そう思うようになられた経緯を教えていただけますでしょうか。
加古さん
僕は福井県の武生市(現・越前市)で生まれ、8歳のときに東京へ移ってきました。そして中学2年生のとき、自分の将来について考えたのですが、3人兄弟の末っ子で、とても学費が私にまで回らない。そこで、無料で通える学校に行くしかないと思い、当時の国の状況も考えて、また、飛行機が好きな飛行少年でしたから、士官学校に行って航空士官になろうと決めたわけです。
それからは、その自分で決めた目標をいちずに目指しました。それまで有頂天になって入り浸っていた中学校の図書室への出入りもみずから禁じ、勉強も、東洋史や国語なんて必要ない、理科と数学だけをやろうと。
ところが、それから近視が進んだため、士官学校は受験することさえできないことになってしまいました。そのときに、今まで励ましてくださっていた校長や担任の先生から「何だ、軍人にもなれんようなやつか」と言われたんです。がっかりすると同時に、軍人以外にも国や社会のためになる方法はあるはずだという反感もあって、理科の道に進むことを決めたわけです。
そこで、何とか高校に進学させていただき、東大の工学部に入りました。そのころに戦争が終わったのですが、戦災で自宅も燃えてしまっており、しばらくは講義も聞けない状況でした。ようやく大学に戻って最初に聴講したのは原子爆弾に関する講義で、元素というものは変わらないと思っていたのに、そうではないことを知り、衝撃を受けたんですね。そして、今まで自分が教わってきたことは何だったのかと思うと同時に、まだまだ勉強が足りないと痛感しました。
考えてみれば、最初に軍人になろうと思ったのも、勉強が足りないことによる誤った判断だったわけです。士官学校に入った友人たちは特攻隊などで戦死しています。僕も近視でなければそうなっていたかもしれない。たとえ死ななくても、アジア各国に爆撃などをして大変な迷惑をかけていたかもしれない。そういう後悔の念が押し寄せてきました。
そして、子どもたちにはそういう誤った判断をしてほしくない、そのためにはみずから勉強しようと思うように、導いてあげなければいけないと考えるようになったわけです。
師匠は子どもたち
加古さん
そこで、大学にそういう講義はないかと探しました。その当時、まだ教育学部というものはなく、文学部の教育学科しかありませんでしたので、その有名な先生の講義を聞いたのですが、抽象論で、これはあかんと思いました。やっぱり子どもさんとじかに接しなければだめだと思って、うろうろとそういう場を探していました。
そして演劇研究会というサークルに入ったのですが、これが大当たりで、いろいろなことを教わりました。最も衝撃的だったのは、子どもたちの反応です。農村などでお芝居をしますと、子どもたちは、おもしろければわーっと盛り上がるのですが、おもしろくなければその場で運動会を始めたり、もっとひどいときにはいなくなっちゃったりするんですね。大人は、せっかく来てくれたんだからということで、つまらないものでもじっと座って見ている(笑)。子どもたちの反応は大人よりも的確であることが分かり、その判断力やセンスを大事にしなければならないということをつくづく感じました。
卒業後川崎の化学工場に勤務、休日に周辺の子どもを集め、「子ども会」をしたのですが、お芝居と同じで、つまらないといなくなるんですよね。後でどこに行ってたんだと聞くと、ザリガニやトンボをとりに行ってたと。彼らには、アンデルセンか何かの焼き直しよりも、ザリガニとりなど、相手が命をかけて逃げ、それを追いかけるという野性的なことのほうがわくわくするわけですね。
紙芝居なども、そういう子どもたちの反応を見て手直しをしたりしていました。
藤嶋学長
そのときの大ヒット作が『どろぼうがっこう』ですよね。あれはドクター論文の原稿の裏に描かれたと伺っていますが。
加古さん
そうなんです。当時、会社から、旧制の大学を出たやつは博士号を取れ、論文も書けないようなやつはクビだと言われて、子ども会へ行っていた日曜日も投げ出して書かなければいけなくなりました。でも、僕にとっては子ども会も論文と同等の価値があったものですから、休むのは嫌だと。そこで、書き損じの原稿の裏に、本当はきれいに彩色するのが子どもたちに対する礼儀だと思ったのですが、時間がないので墨一色で描いた紙芝居が『どろぼうがっこう』です。そうすると、終わったら「もう一遍やれ」ということで、3回も繰り返させられたんですね(笑)。
僕にとっては子どもさんの方が先生、師匠なんですよ。僕が知らなかったことを全部、何も言わずに態度や行動で教えてくれました。やはり一番の先生は子どもたちですね。
小さいころの興味・関心を大切に
――先ほど加古先生から、子どもたちがみずから勉強するように導くというお話がありましたが、今、子どもたちに科学や理科のおもしろさを伝えることの難しさということも言われていますね。
藤嶋学長
そうですね。今、実際に子どもたちの理科離れが起こっています。私は「七五三問題」と呼んでいるのですが、理科の好きな子が、小学5年生のときには70%だったのに、中学2年生では50%、高校2年生では30%というようにどんどん減っていってしまうわけです。これが日本にとって一番の問題で、それを10%ずつでもいいから増やし、八六四にしたいと思っています。
先ほど申し上げた光触媒ミュージアムも、そのために開設したものです。どんな研究も、みんなに理解してもらわなければ意味がありません。そのためには小さなころから科学や科学技術のおもしろさや楽しさを伝えるのが大事ということで、その機会を与える場の一つになればと思っています。
ただ、加古先生が言われたように、子どもたちは関心がなければ絶対に来てくれません。光触媒ミュージアムなんてかた苦しくやっていても来てくれないでしょうから、入り口に絵本コーナーを設けることにしたわけです。これが子どもたちにとって、まさに科学の世界への入り口になればと思っています。
――藤嶋学長のそのようなご発想はいつごろ出てきたのでしょうか。
藤嶋学長
大学生のときですね。友人たちと一緒に、自分たちの旅行も兼ねて、出前授業というものを始めたんです。自分たちの行きたいところの教育委員会に、夏休みの1週間、中学生に特別授業をさせてほしいという手紙を書き、オーケーをもらったところに行く。この方法で大学2年生のときには福井県と島根県、3年生のときには青森県の竜飛岬にある中学にまで行きました。これはとてもおもしろかったですね。今もそれは続けており、小・中学校などで積極的に行っています。
また最近では、子どもたちに関心を持ってもらうために、身の回りの不思議についてお話しするようにしています。例えば赤い星と青い星があるのはなぜか、空が青いのはなぜかということなどですね。
その中で、虹の色は幾つかということがあります。7色ですよね。ところが、ドイツの人に聞くと5色と答えるんです。赤から紫までの連続する光ですから、それを幾つに区分するかは教育によるわけです。日本人は小さいころか7色と教えられますから7色になるのですが、ドイツの子どもたちは5色と教えられます。小さいころの教育がいかに大事かということですね。
加古さん
そうですね。子どもたちは3歳を過ぎたころに自我が出てきて、自分の好きなものがだんだん分化していきます。例えば昆虫が好きという子どもさんも、トンボやダンゴムシ、ゴキブリなど、好きなものが特化していくわけです。そして、それに関する子ども向けの本は全部読んでしまい、もっと知りたいということで専門家の本も読もうとするのですが、それは大人向けに書いてあるので読めないわけですね。
そういう細分化されたものが本当は2,000以上必要なのですが、それはとてもできませんので、僕は1,000を目指そうと思い、専門家の先生も巻き込んでつくってきました。そういうものを準備しておいてあげれば、子どもたちは自分で興味を深めていけるのですが、今のところまだ300もありません。
残念ながら、そういう本はあまり売れないんですね。例えばゴキブリが好きだという子は、日本中で1,000人ほど、多くても2,000人はいないでしょう。2,000部では出版社さんの採算が合わないわけです。僕としては、できれば2色刷り、それが無理なら1色刷りでもいいので、何とか出してほしいと盛んに申し上げるのですが、なかなか難しいですね。
ですから、これからもさまざまな分野の専門家の先生たちに大いに頑張ってほしいと思っています。特に理科大は長い伝統をお持ちですし、藤嶋学長をはじめ、優秀な先生方がたくさんおられます。そういう方々と一緒にいろいろなことをやっていけるのを心待ちにしております。
子どもたち、学生たちに対する教育のあり方
――藤嶋学長は科学の世界の第一人者でいらっしゃいますが、同時に科学では説明できないもの、すなわち心や気持ちなどの人間的なものも非常に大事にされていると思います。そういうことに関してはいかがでしょうか。
藤嶋学長
私は、感動する心というものが人間にとって最も大事だと思っています。心からの感動こそが、自分を人間的に高めてくれる一番の原動力だと思っているんですね。
私は理科大に来たとき、『こゝろ』や『老人と海』など、学生に読んでほしい本を20冊ほど挙げ、図書館にそのコーナーを設けました。また、最近では『子どもと読みたい科学の本棚』という本も出しました。そこでは私が感動した本を中心に150冊を紹介しており、加古先生の本も入れさせていただいています。それも、読書を通じて心からの感動を経験してほしいという思いからなんです。
――加古先生も、作品を拝見しますと、そういう部分をとても大事にしておられるのが伝わってくるのですが。
加古さん
僕は教育の何たるかとか、児童心理の何たるかということは全く分かりません。それに関する本はいろいろと読みましたが、自分の思いにぴったりと合うものはありませんでしたので、子どもさんからじかに学ぼうと思ってやってきたわけです。
それをやればやるほど思うのは、子どもさんに本当に必要なのは側面援助だということです。子どもたちは僕のような老人とは違い、これから伸びていく力を内蔵しています。ですから僕たちがすべきなのは、持っている知識を教え込むことではなく、純粋にうまく伸びていくように励まし、応援してあげるということではないかと思うんですね。
――藤嶋先生は理科大の学長であり、加古先生も東大や横浜国大などで講義を持たれていらっしゃいましたが、学生の教育という視点ではいかがでしょうか。
藤嶋学長
私は学長として各学部の1年生に講義をするとき、まずは先ほど言いましたように、基礎・基本をきちんと身につけることの大切さについてお話ししています。
そして、やはり人間として成長してほしいということで、3Fということを言っています。まずは、何事にもファイト(Fight)を持って取り組むこと。そして、すべてに対してフェア(Fair)であること。最後に、ファースト(First)、第一人者になるということです。それは専門家としての第一人者であることはもちろん、もっと大事なのは人間としてファーストになるということなんですね。
――加古先生はいかがでしょうか。
加古さん
今の学生諸君のことはほとんど分からないのですが、僕は子どもさんに対するものを書かせていただくとき、その内容が少なくとも20年間は大丈夫、間違いでないということを最低条件にしています。小さいころに読んで、ずっとそう信じてきたのに、20年後、いざ社会人として活躍するときになって、それが実は間違いだったということでは全く何の役にも立たないわけです。それだけ先のことを見通すのはむずかしいのですが、僕はそれを自戒するとともに、一緒につくってくださる専門家の先生にもお願いしています。
お答えにはなっていないかもしれませんが、そういう先を見通す力、長期的な視点というものもこれから大事になってくるのではないでしょうか。
「物華天宝」―自然界から学ぶ
――それでは最後に、自然環境の破壊などの現状を見ますと、科学技術の進歩と人間の幸福や健康というものには少なからずジレンマが生じているように思われます。これからの科学の世界、あるいは大学等における科学教育はどうあるべきとお考えでしょうか。
藤嶋学長
私は『天寿を全うするための科学技術―光触媒を例にして』という本も書いたことがあるのですが、そのタイトルどおり、すべての人が望んでいるのは天寿を全うすることだと考えています。それは、病気も治してもらえ、エネルギーも十分にあるという、健康で快適な空間のもとでこそ実現し得ることです。それに少しでも寄与できるような科学技術でなければだめだと思っています。
また、私は中国の「物華天宝」という言葉が好きなんです。私の解釈では、「物華」とは科学技術の成果のことであり、それは天の恵みであるということです。それはまだまだ隠されているんですね。まだ解明されていない原理や法則などがたくさんあるわけです。それを探し出して研究し、すべての人が幸福な人生を送り、天寿を全うできるように活用する。それが科学技術の使命のすべてではないかと思っています。そういうことに寄与できる人材を理科大で育てていきたいですね。
加古さん
本当にそう思います。
僕は藤嶋先生から光触媒のお話をいただいたとき、最初は植物の光合成と同じ反応が酸化チタンで実現できたのではないかということをお聞きして衝撃を受けました。僕なんかは、熱や圧力、電子線などをかけて、何とか反応を起こさせようとしたのですが、考えてみましたら、植物は常温のもと、何の公害も出さずに、立派にさまざまな製品をつくっているわけです。こういう素晴らしいお手本があるのに、人類はそれをまだ物にしていないのではないかと思うんですね。そういう新しい方法によって人間の生活や地球上の生態系が現在のような状態を保ち、より発展するようにと心から願います。しかしその一方で、私たちは大事なものを見落としてしまっているような気がするんです。
2050年ごろには世界の人口が100億近くになるそうですが、それだけの人間が地球上に住み得るかといいますと、食料やエネルギーなど、八方塞がりでしょう。もっと大きな問題は、お手本とすべき植物の生育の場さえもなくなってしまうのではないかということです。ですから、まずは植物が生育できる環境を保持し、そこから技術を学び取って実現していかなければならないのではないか。これが余命幾ばくもない者の感想と願いです。
――まさに物華天宝ということですね。
藤嶋学長
植物をはじめとして、自然界にはお手本とすべき素晴らしいメカニズムがたくさんありますよね。
加古さん
人間も動物も全部、植物に寄生して何とか生き延びてきたわけです。その大もとの植物が生き延びられないようにしたのでは、申しわけない限りだという気がしますね。
――本日は長時間にわたり、ほんとうにありがとうございました。
※本インタビューは科学フォーラム11月号(353号)に掲載されました。

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